ドラゴンボールGT最終回(第64話ラスト)の感想|ベジータのセリフの意味を考察!
ドラゴンボールと言えば、無印から始まってZ、GT、改、超と続いてきました。
今回は、『ドラゴンボールGT最終回(第64話ラスト)』についてみていきたいと思います!!
この『ドラゴンボールGT最終回』はよくネット上でも話のネタになったり、疑問視されるなど何かと話題に上りがちな回でもありました。
その中でも、エンディングへのカギともなったベジータのセリフについて考察していきたと思います!!
なぜベジータだけが気付いたのか。そして悟空はどうなったのか。
それではみていきましょう!!
GTはアニメコミックスも一部存在ます。
ドラゴンボールGT最終回(第64話)のあらすじ
前回63話では、悟空が超一星龍の攻撃を受け止めますが堪えきれず、地面には巨大な穴が開いてしまい悟空の姿はありませんでした。
今度こそ地球は終わりかと、ベジータは悔しがり怒ります。そして、トランクスたちに未来を託し一人超一星龍の元へと戻っていきました。
そのベジータに続いてサイヤ人の息子たち皆も闘う決意をします。それでも超一星龍には全く持って敵いません。
皆やられベジータも万事休すかと思われたそんな中、悟空が穴の底から大きな元気玉を抱え出てきます。そして超一星龍を倒すことが出来ました。
すると、ひび割れていたドラゴンボールが元に戻ったかと思うと突然神龍が現れ、ドラゴンボールはもう使わせることが出来ないと言います。
悟空は最後の願いに「地球の人々を生き返らせる」と願い、神龍と共に皆の前から去っていきました。
悟空は、まるで最後の挨拶をするかのようにクリリンやピッコロの元に訪れては消えていきます。
そして神龍の上で「あったけぇなぁ・・・」と言いながらドラゴンボールと神龍と同化するように消えていきました。そして最後には神龍も消えてしまいます。
そして100年後。悟空やベジータの子孫たちが天下一武道会で闘うこととなりました。
そこには、観客からそっと見ていた悟空の姿が。その様子をパンは見つけ慌てて近づきますが、そこにはもう悟空の姿はありませんでした。
「悟空がいたから楽しかった ドジで明るくて 優しくて そんな悟空が大好きだったから これでドラゴンボールの話はおしまい」
ドラゴンボールGT最終回(第64話)の感想!エンディング(ED)も感動だった!
ここでは、感動的だった最終回ならではの放送のされ方についてみていきたいと思います!
皆さんは覚えていらっしゃいますか?
『ドラゴンボールGT』の主題歌は、FIELD OF VIEWの『DAN DAN心魅かれてく』という曲でした。
どんな曲かというと、雰囲気として例えるならば、暖かくて柔らかく希望に満ちているような印象を受ける曲ではないかと思います。
きっと一度聞いたら、「ドラゴンボールにピッタリの曲だね」と思わず言いたくなるほど、『ドラゴンボールGT』ではお馴染みの曲でした。
最後、悟空たちの子孫が天下一武道会で闘う姿を会場の片隅で見ていた悟空。その姿をパンは見つけ近づこうとするも、悟空は消えてしまいます。
そこでパンが「来てくれたんだね、悟空おじいちゃん」と言った後、その会場外を一人歩く悟空の姿が。そして
「悟空がいたから楽しかった」とナレーションが入り、この曲が流れ始めました。
この曲に合わせて、悟空がブルマとドラゴンボールの旅に出た時から始まり、今までの悟空、ドラゴンボールの歴史の名場面が流れ始めます。
この最終回ならではの演出なのですが、いろいろな感情が込み上げてくるシーンでした。
当時のワクワクドキドキした感覚が蘇ってくるような感覚になるんですね。
とても感動的な演出だと思います。
当時『ドラゴンボールGT』の最終回が放送されていた時も、ドラゴンボールが始まって約13年という月日が経っていて、その間にはたくさんのストーリーが生まれました。
また、現実では子供から大人になる間に『ドラゴンボール』と共に成長した方もいたと思います。
そんないろいろな思いが、この『DAN DAN心魅かれてく』と共に回想され、胸がぎゅっとなった方も多いのではないでしょうか。
私も胸(胃)がぎゅっとなった一人ですが、一番心にきたのは“ありがとう”という気持ちでした。
正直、どんな気持ちの“ありがとう”かと聞かれたら答えに困るのですが、やはり「夢中になること」が出来たことだと思います。
そのおかげで、面白い、楽しい、嬉しいなどたくさんの感情を得ることが出来ました。
気持ちの共感や、懐かしさで感動を誘ったのだと思います。
また、この演出で私は別の角度から感じたことがありました。
それは、この100年後という世界が最終回だったことです。この世界には当時のキャラはパンしかいません。その中で、当然いない存在の悟空が姿を現しました。
そしてあえて、もう誰もいない世界で今までの出来事のシーンが流れるのです。
これはある意味、ドラゴンボールの世界は続いている中で、悟空たちの世代が終わったことを意味しているようにも感じました。
その中に寂しさや、切なさなども込み上げてきて、私はこの最終回をやはり涙なしでは観られないのでした。(笑)
ドラゴンボールGT最終回(第64話)でベジータのセリフの意味を考察
次に、ベジータのセリフの意味を考察していきたいと思います!
最終回、超一星龍を倒すと呼び出してもいないのに神龍が現れ、悟空は最後の願い「地球の人々を生き返らせる」を願いました。
そして願いを叶えてもらうと、悟空は神龍と共に行ってしまいます。
悟空が去った後、いなくなった悟空に対し皆“いつものこと”ぐらいな感じでそれぞれその場から帰っていきました。
そしてパンもトランクスを追って帰ろうとした時、ふと足元にボロボロになった道着を見つけます。それは悟空の物で拾い上げたパンは
「なんで…だって今…たしかにおじいちゃんは神龍と一緒に…」
と疑問に思っていると、ベジータが
「そいつは大事にとっておけ…」と言いました。
今回はこの「そいつは大事にとっておけ…」の意味を考察したいと思うのですが、この言葉、普通の会話であまり言われる言葉ではないですよね。
どちらかと言えば、“余程の場合”や“後にない場合”に使われることが多いかと思います。
そしてこのシーンに当てはめるならば、“去っていく悟空の置き土産”的な解釈をしてもいいのではないかと思いました。
このセリフを言ったベジータの真意は分かりませんが、いくつかのセリフからこの言葉に繋がった様子をまとめてみます。(63話~64話)
- やられたと思った悟空が超一星龍を倒すために穴の中から元気玉を作りながら現れる。その時超一星龍が「そんなはずはない!おまえは確かに死んだはずだ!」と言う。その時悟空は「ハハハハハ」と笑うだけ。
- 宇宙中からエネルギーを集めた悟空に、超一星龍は攻撃をするが全く効かない。そして、「きさま何者なんだ?」と悟空に問いかける。
- 悟空の元気玉が完成したところにパンが戻ってきて「おじいちゃん神様みたい」と言う。
- 超一星龍を倒した後、呼び出していないのに神龍が現れる。横たわっていた悟空だが、「立て孫悟空」と神龍が言うと神龍の目が光り、悟空が金色に輝き目を開ける。
- 願いを叶えた後、「さあ行くぞ悟空」「もうそんな時間か」と神龍と会話をする。
- 悟空が神龍に乗って「オラちょっと行って来る!」と言うとベジータが「待てカカロット!また修行か!」と言うも、ハッとして「カカロット…きさま…!」と言ったベジータに対して悟空が口元に指を当て「し~」とベジータに言う。
個人的に思い当たるような気がして拾ってみた言葉ですが、どうでしょう。
もうこれは悟空が死んでいるか、もしくは神龍と何かしら契約しているかのように思えるのですが・・・。
悟空が地球を守りたい一心で、元気玉を作る前に自分の命と引き換えに神龍と同化をする道を選んだ?のではないでしょうか。
そしてベジータが、いつどこで悟空が“違う”ことに気付いたのか答えは分かりませんが、おそらくベジータは悟空が“普通”ではない事に気が付いたのだと思います。
息子の悟飯や悟天ではなく、ベジータだからこそ気付けたのかもしれません。
最大のライバルであって、共に闘いもしてきたベジータだからこそです。
他にも亀仙人やピッコロも“違い”に気付きました。皆「あれ?」と言ったような感じに悟空を見ていましたが、ベジータだけがしっかりと受け入れてパンにこのセリフを言ったようにも思います。
きっと複雑な気持ちもあったであろうベジータ。それでもパンに言ったこのセリフは、私たち読者も大きな衝撃を受けました。
ドラゴンボールGT最終回(第64話)悟空のその後はどうなったの?クリリンに会うシーンで号泣!
さあ、結局悟空はその後どうなったのか、ここでは悟空のその後や、最後にクリリンに会っていった様子について書いていきたいと思います。
結論から言うと、悟空は最後神龍の上で「あったけえなあ…神龍の背中」と言いながら目を閉じます。すると、悟空の周りにクルクルと浮いていたドラゴンボールが悟空の体内に入っていき、悟空は消えてしまいました。そしてその後は神龍も消えてしまいます。
そのことから悟空は、ドラゴンボール=神龍と共に消えて(消滅)しまったと考えられるかと思います。
もしくは、人間世界から神の領域に行ったのかもしれません。真相は分かりませんが、悟空は消えてしまう前に、今まで知り合った者たちに挨拶をするかのようにそれぞれの元を訪れました。
最初に砂漠の荒野にいるヤムチャとプーアルの頭上を通り過ぎて行きます。そして今度はチャオズと天津飯の頭上を。
そして悟空は神龍に“寄り道がしたい”と言って、一番最初の師匠がいるカメハウスへと向かいます。そこにはかつて一緒に修行をしたクリリンが訪れていました。
そこへ悟空が来てクリリンはとても喜び、二人で昔話をしてとても懐かしみます。悟空や亀仙人の姿を見てクリリンは、「なんか俺だけ歳とってよ、すっかり変わっちまった…」と寂し気に言いました。
すると、そんなクリリンを悟空は笑顔で黙って見つめ、「なあクリリン、久々にいっちょやんねえか?」と組み手に誘います。
その様子を観ていた亀仙人は「悟空…おまえ…」と言い、組み手で吹き飛ばされた悟空が「昔のまんまだ、ちっとも変わってねえぞ、クリリン!」と言った後、クリリンが一瞬目を細めた瞬間に悟空の姿はありませんでした。
亀仙人は「悟空よ、神龍に伝えてくれ。ドラゴンボールをありがとうとな」という言葉を残します。
そして、砂浜に残された悟空の足跡は波によって消されていきました。
悟空にとってクリリンは一番の親友で、仲間です。その悟空がこうしてクリリンの前に現れ昔のように組み手をする姿に、当時の悟空とクリリンの修行や天下一武道会に参加したシーンなどが蘇ってきて、目頭が熱くなりました。
そして、老け込みがちなクリリンに“何も変わってない”という言葉を残せたのは悟空だからこそだと思います。
この後悟空はピッコロにも会いに行きました。そしてお礼を言います。
ピッコロには「世話になった、一生忘れない」と言っていきましたが、クリリンにはあえていつも通りの悟空でいました。
個人的な見解で考えすぎかもしれませんが、クリリンと悟空の関係性がよく表れているシーンだと思います。悟空がクリリンとのことを大切に思っているようにも感じました。
そして、これで最後なんだ…という思いで観ているとさらに感極まってしまい、このシーンは涙なしでは観られないことでしょう。
まとめ
今回『ドラゴンボールGT』の最終回についてみてきました。正直、とても謎の多い最終回だったと言ってもいいのではないかと思います。
また、この一話の中にたくさんの思いや切なさも詰まっていましたね。
真相は分かりませんが、今まで愛されてきたドラゴンボールだからこそ、いろいろな解釈や見解が生まれ、さらに私たちを楽しませてくれるのではないでしょうか。
100人いたら100人の受け止め方があると思います。この最終回を観て、“それでいいんだよ”と言われたような気がしました。
とても感動的な一話だと思います!!